2020年1月 1日 (水)

2019年のまとめ

[仕事および医療関係]
06月 診療情報管理室から地域連携部門へ異動
11月 入退院支援加算1算定開始

[ランニング]  cf.鈍足記
01月 第69回須崎ロードレース(一般男子・20kmの部)
02月 高知龍馬マラソン2019(42.195km)

[山行]  cf.デジカメ山行記
01月 工石山
04月 国見山
05月 大森山~佐々連尾山
07月 笹蔵湿原
08月 白髪避難小屋~次郎笈
10月 二ノ森
11月 南尖峰、墓場尾根
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仕事について。2020年12月末の定年まであと1年となった。雇用継続となる可能性が高いが、それでも病院の中でおいらが担当している「ノウハウを伴う実務」は、定年までにすっかり次世代に引き渡してしまおうと思っている。そう思い、6月、12年間いた診療情報管理室を離れ、地域連携部門へとデスク移動した。施設基準管理業務はすでに2018年11月からおいらの後任が着任している。12月には四国厚生支局の適時調査があったが、準備作業は彼女に大方やってもらった。地域連携部門は、スタッフが産休に入ったり、退職があったりと、体制がなかなか落ち着かないが、それでも11月には入退院支援加算1を取得した(10月までは同加算2)。病院の院内報に毎月書いているコラム「湧水」は、2019年8月で第200号に達した。

ランニング。高知龍馬マラソンの記録は、完走レースの中ではワースト2位となる4時間18分18秒(ネットタイム)。残念。2020年はサブ4復活が目標である。

山行は、2019年は7度。2018年は実家の母の入院~死亡で一度も山に登らなかったが、2019年から山行再開。笹蔵湿原には初めて行った。

吉田寮問題。自主管理寮をつぶそうとする大学当局は2019年4月、とうとう寮生を相手取って建物明渡請求訴訟を起こした。これまで7/4、10/7、12/26と三度の法廷が開かれている。吉田寮よ、頑張れ。

吉田寮公式サイト
21世紀に吉田寮を活かす元寮生の会

2019年12月22日 (日)

憲法擁護闘争の前進のために

こちらも同じく「ゴトーのものさし」所収。五島正規の筆による論文のひとつ。で、こちらは五島が岡山大学医学部学生であった1963年に書かれた文章。岡大評論(岡大新聞会)に発表された。400字詰原稿用紙53枚に及ぶ文章である。
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見出しを辿ると、こうなっている。
はじめに
1.現行憲法の歴史的考察
1)憲法制定の歴史的背景
2)日本独占資本主義の復活コースと憲法問題
3)憲法空洞化政策
2.護憲運動上の問題点
1)現行憲法を革新政党はどう見てきたか
2)護憲運動はどのように進められてきたか
3)憲法完全実施の闘争
3.平和に豊かに生きる権利
1)平和的生存権
2)文化的生存権
おわりに
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1-1)で五島は明治憲法について「存在基盤を戦前の日本資本主義特殊後進性に置いていた。日本における市民革命の未完成による、地主=ブルジョア階級同盟に基盤を置いていた。」と述べている。この頃の五島は、歴史認識的には講座派的な傾向が見られる。

戦後の象徴天皇制についても、現行憲法制定過程で発表された数々の草案に対し、五島は2-1)で「当時、こうした草案の民主度を測る目安は、天皇制の問題であっただろう」と述べ、当然ながら天皇制に批判的な姿勢を見せている。

ところが一方で、共産党の現憲法に対する姿勢を批判して、こうも述べている。
「現在、共産党はその綱領で、現憲法の改悪に反対を掲げつつも、その天皇制の存在を過当に重く見て、これの性格を欺瞞的であるとする態度を抜け切っていない。」
「天皇制の残渣そのものが、日本の政治、経済上、さほど比重を持ってはおらず、この憲法の規定するブルジョア民主主義的諸自由、平和的生存権等々が、もはやブルジョアジーの利益を反映せず、国家独占資本主義によって形骸化され放棄されていく中で、これを勤労諸階層が自らの要求として、一般民主主義の課題としてとりあげ支えていくことにより、階級闘争も前進しうるという視点に立ちえていない。」

要するに、象徴天皇制などの小さなことにこだわったり、現憲法に対して是々非々みたいな中途半端な態度をとるなという主張である。現憲法には平和的生存権、文化的生存権などの守るべき価値観があり、しかも独占資本によって空洞化の攻撃にさらされている。憲法擁護闘争はいわば日本における階級闘争の軸となり得る課題であり、二大革新政党である共産党、社会党のこのことに対する理解と、運動の統一はきわめて重大であると、本論文は結んでいる。
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いまふり返って見てみると、五島の政治スタンスはこの頃から一貫したものがあるようだ。旧民主党結党時、社会党からいち早く民主党にくら替えしたのも、最晩年において「野党共同」を力説したのも、国権派に対する民権派の「大きく深い陣形づくり」という問題意識ゆえだろう。その意味で、本論文は五島の原点といえる。この論文を「発掘」し、発表したのが五島本人であることが、その傍証である。

介護保険実施10年に思う

「ゴトーのものさし」所収。五島正規の筆による論文のひとつ。初出は雑誌「地域ケアリング」2010年7月号。表題の通り、介護保険施行後10年を期し、同制度について振り返って書いた論文。同制度創設に与党福祉プロジェクトチーム座長として関わった五島ならではの文章である。この制度の創設過程は実に面白い。介護の社会化を求める声が高まる中、市民運動、政治家、官僚の協力関係がけっこううまく働いた。おそらく自民党単独政権(ないし自公政権)ではなく、自社さ政権であったことが制度づくりに良い方向で作用した。
「ゴトーのものさし」に載っている文章の中でも、これは一押しである。


次の投稿に続く)


読書日誌:ゴトーのものさし ―― 五島まさのり時系列伝

読了日:2019/12/17
書名:ゴトーのものさし ―― 五島まさのり時系列伝
著者:五島正規記念誌制作委員会
出版年:2019年
出版社:株式会社飛鳥
コメント
五島正規(1939~2016)の没後3年を期して出版された文集。五島はおいらが勤務している医療法人の前理事長で元衆議院議員(1990~2005)。本書は5章より成る。第1~3章は、所縁の人々各々が自らと五島との関わりに触れながら五島の人柄や活動、エピソードなどを紹介し、五島の人生を振り返る内容。第4章は各界(政界、医療界、医学部同窓生、等)の人々から贈られた追悼文集。そして第5章には五島自身が書いた諸々の文章が集められている。
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本書より五島のあゆみをざっくりまとめるとこうなる。


60年安保当時、岡山大学医学部学生。民青所属。全学を率い、全学連の隊列で活動。
その後、構改派として離党。
岡大卒業後、同大衛生学教室に入局。1970年には森永ヒ素ミルク事件被災児の疫学調査で発表を行っている。
同年、高知県立宿毛病院に赴任。振動病患者の発掘、治療に取り組む。さらに振動病、労災・職業病の治療拠点とするべく1979年、四国勤労病院(高知市)設立。以後、2014年まで医療法人理事長。
1990年、社会党より出馬。衆議院議員となる。96年より民主党。
ことに自社さ政権時代、与党プロジェクトチーム座長として介護保険制度創設、薬害エイズ患者救済などに尽力。五島がもっとも本領を発揮したのは、おそらくこの頃だった。


次の投稿に続く)


2019年11月23日 (土)

読書日誌:独ソ戦

読了日:2019/11/17
書名:独ソ戦 ―― 絶滅戦争の惨禍
著者:大木毅
出版年:2019年
出版社:岩波新書
コメント
独ソ戦の通史。戦史・軍事史的な論述を縦軸としつつ、この戦争の特異な性格、ことにナチズム対スターリニズムの戦いとして争われたことによりあらわれた悲惨きわまりない戦争の姿を描いた書。著者は、防衛省防衛研究所、陸上自衛隊幹部学校講師などの経歴を持つ、岩波新書の著者としてはおそらく異色の人。
著者はこう書く。

独ソ戦を歴史的にきわだたせているのは、そのスケールの大きさだけではない。独ソともに、互いを妥協の余地のない、滅ぼされるべき敵とみなすイデオロギーを戦争遂行の根幹に据え、それがために惨酷な闘争を徹底して遂行した点に、この戦争の本質がある。およそ4年間にわたる戦いを通じ、ナチス・ドイツとソ連のあいだでは、ジェノサイドや捕虜虐殺など、近代以降の軍事的合理性からは説明できない、無意味であるとさえ思われる蛮行がいくども繰り返されたのである。

結果、両国では、戦闘員、非戦闘員含め、併せて3,300~3,500万人の命が奪われた。
ナショナリズムが世界各地で高まりつつあるこんにち、この悲惨な「人類の体験」について考察することは、おそらくとても意味のあることに違いない。

2019年11月21日 (木)

南尖峰、墓場尾根

  11月13日、石鎚山に登った。土小屋から石鎚山へいたる通常ルートの途中から外れ、南尖峰を直登するコース。先月の石鎚はガスがひどく、展望がまったく得られなかったが、今回はうってかわっての晴天。頂上直下、蟹の横這いを過ぎ、岩をよじ登って乗越に出たところで、稜線の反対側に岩峰基部に沿って下る踏み跡がある。これを辿ってしばらく進むと墓標が立ち並ぶかのような岩尾根が見えてくる。墓場尾根である。前方の尾根まで到達するルートはあるはずだが、足元は切り立った崖であり、ルート不案内な単独行の登山者には少々危険。残念だがここで引き返すことにする。
南尖峰から天狗岳、弥山と辿り、下りは二ノ鎖小屋からまっすぐ土小屋へ戻るのでは物足りないので、夜明峠から天柱石を経て、土小屋へ帰るルートを取ることとする。この道は、ところどころ少々荒れている箇所があるが迷うことはない。「石鎚三十六王子社」の巡拝道とあって、なかなか風情のある登山道である。

 

→ 詳細は、「デジカメ山行記」

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2019年10月23日 (水)

読書日誌:国家の統計破壊

読了日:2019/10/20
書名:国家の統計破壊
著者:明石順平
出版年:2019年
出版社:集英社インターナショナル新書
コメント
「2100年の世界地図」の魅力の一つは、人口予測をはじめ、さまざまな統計データを用いて80年先の世界を論じたところにある。一方こちらは、アベノミクスなる看板政策が成功しているように見せかけるために、政府と官僚が統計操作に手を加え、「偽装」とか「粉飾」と言えるような行為を行っているという、お粗末なハナシ。
いわゆる統計不正問題は、厚労省の毎月勤労統計調査における問題が大きく報じられ、話題となった。しかし、統計不正はこれにとどまらない。第二次安倍政権発足以降、これまで分かった統計手法「見直し」は53件に上り、うち38件はGDPに影響している。著者は、統計不正問題の本丸は「GDPかさ上げ」にあると指摘している。
何というか、動機も手法も情けない。呆れてものもいえないぜ!
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だのになぜかこの統計不正問題はさほど現政権に痛手となっている様子はない。マスコミも世論もあまり追及してなさそうだ。思い出すのは、西内啓がかつて述べた「日本全体での統計リテラシー不足」という指摘だ。いったいこのままで良いのだろうか?!

参考)西内啓:統計学が最強の学問である

2019年10月13日 (日)

二ノ森

10月6日、石鎚山系の二ノ森に登った。この日、四国地方は概ね晴れていたのだが、高度1000mを超える石鎚近辺は深いガスに覆われていた。晴天であれば20100929山行で見たような展望と紅葉が観られたはずだが、期待通りにはいかなかった。
登山ルートとしては、まず土小屋を出て、石鎚山への登山道を西進。二ノ鎖小屋を過ぎたあたりで弥山、天狗岳をめざす登山客たちと別れ、面河道へ入る。しばらく進んでから面河道とも分れ、二ノ森を目指す。
今回は視界が悪く、下ばかり見て歩いていたせいか、二ノ森方面-面河道の分岐を見落とし、面河道をそのまま進んでしまい、しばらく気がつかなかった。そのため時間と体力を結構ロスしてしまった。失敗山行なり(^_^;)。

 

→ 詳細は、「デジカメ山行記」

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2019年10月 1日 (火)

読書日誌:2100年の世界地図

読了日:2019/09/30
書名:2100年の世界地図 ―― アフラシアの時代
著者:峯陽一
出版年:2019年
出版社:岩波新書
コメント
アフラシアとは、アフリカとアジアを包含する地理的な単位として著者が本書で提唱する用語/概念である。面積の上で世界の約46%を占めるアフラシアの国々は、国連の人口予測(中位推計)によると、2100年には各々世界の約40%ずつ、計80%ほどを占めるようになるという。2100年の世界の人口は111.8億人(2001年は62.2億人)。このとき、地球環境は、食糧は、国際関係は、どうなっているだろう? 否、どう構想すべきだろう?

本書は三部からなる。第一部は、上述の人口予測をはじめとして、GDP、所得分配、移民、失業率、農業生産変化予測(気候変動による)など、様々な定量データを用いて2100年の人類が直面/立脚すると予想される物質的基盤について述べる。これをふまえ、第二部ではアフラシアの今後の発展径路について、これまでの歴史を振り返りながら考察する。問われるのは、分裂か収斂か、すなわち、アジアの大国や新興国がアフリカからの収奪(著者はこれをマクロ寄生と呼ぶ)の道を歩むのか、それともより水平な関係を取り結んでゆくのか、である。そして第三部では、かかる収斂の道の実現可能性について、思想/理念、イスラム教、言語等の切り口から考察を進める。

特筆すべきは第一部である。様々な定量データの可視化のため、本書では国別に色分けした世界地図をはじめとして多数の図表が用いられているが、中でも人口規模やGDPを面積カルトグラムで表現する手法には驚いた。インパクトがすごい。現代の実事求是はかくあるべきか(^_^)。
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著者はあとがきでこう述べている。

私の専門は、もともとはアフリカ地域研究である。それなのに、アジアを語り、世界を語り、自分が専門的に学んだわけでもない学問分野に不法侵入して、あれこれ評価を下す本を書いてしまった。学問の分業のルールからすると禁じ手かもしれない。それでも、大きな話を語らねばならない気がした。

著者は、私の学生時代からの友人である。これまでの彼の仕事を少しは知っていたので、本書での彼のイメージチェンジは驚きだった。だが、今回のこのチャレンジには拍手したい。本書あとがきの最後の一文(↓)にも、心から同意!

アフラシアの時代は、機会であり、挑戦である。22世紀すなわち2101年以降の時代を生きる人々が、アフラシアの夢をくぐり抜けて、より平和で平等で、生態系と文化と個人の多様性を大切にする世界で暮らしていることを心から願う。

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蛇足だが、一点のみ。
本書中で著者はたびたびジャレド・ダイアモンドに言及しており、彼の「決定論的なロジックに(略)息苦しさを感じる」とも述べている(p127)。おいらはダイアモンドの著作は過去3冊読んだが、たしかに「銃・病原菌・鉄」はそのように読むことができるかもしれないが、「文明崩壊」(ことに第14章以降)を読んだあとでは、印象は少々異なる。べつに彼を擁護するわけではないが、いちおう付言しておく。

2019年9月21日 (土)

抜き書き「ナショナリズム覚え書」

前の投稿からの続き)

著作権法違反だが、オーウェルの「ナショナリズム覚え書」から少しだけ抜き書きさせていただく。
以下、光文社古典新訳文庫「あなたと原爆」150~154頁よりのピックアップである。
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今ではかなり広範囲に浸透していて、ほぼどんな問題を考える時にも我々の思考に影響を与えているのに、いまだ名前を与えられていないある心のありようというものがある。現存することばでそれを指すもっとも近いものとして「ナショナリズム」を私は選んだが、私がこのことばを通常使われる意味で使っているのでないことは、すぐにおわかりいただけるであろう。なにしろ私が説明しようとしている感情は、ネイション――つまりは単一の人種や地理的な区域――と呼ばれるものに必ずしもまつわるわけではないのだから。
「ナショナリズム」ということばで私が言わんとしていることは、(略)自分をひとつの国家やなんらかの組織に一体化し、それを善悪の判断を超えた場所に措定して、その利益を増やしていくことのみが自分の務めであると認識するような姿勢のことである。
ナショナリズムは権力への欲望と切っても切れない関係にある。全てのナショナリストの変わらぬ目標は、自分ではなく、個人としての人格を埋没させんと自ら決めた国家なりなんなりの集団に、より大きな権力や威信を付与することなのだ。
ナショナリストというのはもっぱら、あるいは大部分において、威信争いを物差しにして考える人々のことだ。(略)その思考は常に勝利や敗北、勝ち誇ることと辱めることに向かう。
ナショナリズムとは自己欺瞞によって強化された権力欲だ。ナショナリストはみな最も破廉恥な不誠実さえ辞さないが、それでいて――個人よりも巨大な何かに仕えているという意識があるために――自分が正しい側にいるのだという揺るぎなき信念を持っているものだ。
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さて。オーウェルがナショナリズムということばを借りて表そうとしたもの、「いまだ名前を与えられていないある心のありよう」に、名前を与えてみたい誘惑に駆られる。たとえば「群れ思考」なんてどうだろう?

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